Granstream 隠岐の島ツアー



隠岐の島は、自分にとって3年前のリベンジツアーです。
3年前は、隠岐に台風がやってきてしまい、瀬戸内に移動し漕げたと思ったら、今度は線状降水帯がやってきて、最後は琵琶湖でロール練習とまさかの展開で幕を閉じました。
今回も、まさかのトリプル台風発生どうなるのでしょ?

3年前です。
https://masa-log.net/archives/12835
お盆休みは、東日本は大荒れの天気だったようです。
今回は、西日本は台風の影響が少なそうで一安心です。

隠岐の島ってどこ?

島根半島の北方、約60キロの日本海に浮かぶ隠岐諸島。
隠岐諸島は、ユネスコ世界ジオパークに認定されており、世界でも稀な海岸線(赤線のとこ)ということです。
隠岐は古くから「隠岐の国」と呼ばれていて、古事記では『因幡の白兎』で登場してきます。
https://izumooyashiro.or.jp/about/inaba
写真は、帰りに寄った出雲大社より。
教科書では、後鳥羽上皇、後醍醐天皇が島流しにされた流刑地「隠岐の島」として登場してきます。
都から離れ、経済的に豊かで食生活に苦労がなく、生活の保証ができる文化と流通が発達していることから選ばれたそうです。

ちょっとお勉強、後醍醐天皇って?
ヤバい天皇です。

後醍醐天皇は、鎌倉幕府に弓を引いたため隠岐の島へ「島流しの刑」、当時「島流しの刑」と言えば、人生詰んでしまったようなものです。
ところが、隠岐の島から脱出し、楠木正成、足利尊氏、新田義貞を配下にして鎌倉幕府へリベンジし、幕府滅ぼしてしまったんです。
「そうでおじゃる」と言ってる天皇ではなく、最強の天皇とも呼ばれヤバい天皇です。
おっしゃ!天皇中心の政治「建武の新制」やったるでぇー♪
話題のパワハラ知事のように威張り散らしたのでしょうか。。。武士達からは大不評。
建武の新制3年目にして、足利尊氏に裏切られ負けてしまいました。
「尊氏殿、天皇の証『三種の神器』をお渡しします。天皇引退するんで、お許しを~」m(__)m
奈良の吉野に逃げのびました。
ところが尊氏に渡した三種の神器は、ニセモノよん。
ホンモノの三種の神器は、俺持ってるもん!やっぱり俺様が天皇だ!!と言い始め「南北朝時代」突入です。
天皇が二人いる波乱の時代となったのでした。

毎度ながら前書き長くなりましたが、ツアー模様の本題へ
写真はグランストリームから頂きものもあります。

ポーっと船の汽笛で、4泊5日のグランストリーム隠岐ツアーが始まりました。隠岐の島へは船で約3時間ぐらいでしょうか。
海の色が、奄美や沖縄と同じ南国の紺碧色でした。 対馬海流の影響で、南国の色と同じになってるそうです。
隠岐の島、島前に着いて初日はのんびりしました。
キンニャモニャって?帰りに寄った出雲歴史博物館に解説ありました。意味不明ってことでした。多分、ノリってやつでしょう。
キンニャモニャ出雲歴史博物館解説
翌日、出艇です。海の色はとってもきれいでした。
「三郎岩」が遠くにが見えます。大きな岩から太郎・次郎・三郎と呼ばれてるそうです。
見どころの国賀海岸エリアに入りました。
見どころなのですが、台風の影響で、ウネリ・風・雨も降ったりと安定しない天気です。
「摩天崖」と呼ばれる海抜257mの大絶壁に来ました。
海蝕作用によって出来た崖では日本最大級とのことです。
大迫力でした。スケール感が麻痺してきます。さすがユネスコ!
お天気が晴れてれば、海の色ももっときれいなようです。
崖の下は、でかい海食洞だらけなのです。隠岐にしかない光景です。
海食洞の上が、多分「乙女御殿」って呼ばれる場所です。
「通天橋」と呼ばれる場所です。隠岐の島に来たらくぐりたかった場所です。
でかっ、自然の造形美と大きさに圧倒されます。さすが世界ジオパーク!
ちなみに数年前の雑誌表紙で、Granstreamの大瀬さんが掲載されてた場所です。
とんがった岩は「観音岩」
海上から「百済観音」の姿に見えるので「観音岩」と呼ばれるようになったとの事です。
法隆寺の「百済観音」
細長ければ、それっぽく見えなくもないです^^;
海沿いにある国賀神社に立ち寄ってお参りしました。
ここの水が白かったのは、地下水で酸化鉄の影響みたいです。
「国賀の赤壁」
地球創生の時間とパワーを間近に見ると、人間ってちっぽけと感じてしまいました。
「大神立岩」この立派な岩礁は、釣り人には超一級の有名なエリアだそうです。
ここで釣りすればよかった…
「明暗の岩屋」日本で最長の海蝕洞窟のようです。
通り抜けられると、強運で、金運・長寿に恵まれ幸せになれるそうです。
通り抜けられたので生涯、安泰です♪
「矢走二十六穴」と呼ばれ、海中で26個の洞窟がつながっており、ダイビングで有名なとこのようです。
ここで釣り頑張ったけど、ボウズでした。
漕ぐ最終日は晴天でしたが、横風が強いのと練習不足もあり苦労しました。
写真撮ってる余裕なくなりました。
最後はヘロヘロパーになりながら最後尾にて、なんとか無事ゴールです。しんどかったぁ。
その後のビールは格別でした。
のんべぇは、現地のお酒が楽しみです。
隠岐誉美味しかったです。のんべぇ達の土産に買ってきましたよ-。

越前くらげデカかった。
関東からは遠いですが、カヤッカーなら一度は漕いでみたい場所です。
隠岐の雄大な景色と自然を、海から間近に感じられるのはカヤックならでは醍醐味でした。楽しいツアーでとても良い夏休みとなりました。
今度の隠岐は、釣りのボウズのリベンジを果たしたいなぁと思うのでした。

後醍醐天皇のその後。
南北朝時代に突入、京都と対立しながら無念のまま奈良で崩御されました。
天皇の墓は南向きが定説ですが、写真の後醍醐天皇の墓は、京都への執着心から北向きに建てられ、さらに死に際に「朝廷の敵を滅ぼせなくて無念、後世まで許さん」と言い残したため、京都中が後醍醐天皇の怨霊にビビったそうです(||゚Д゚)ヒィィィ!
後醍醐天皇の御霊を鎮めるため、宿敵の足利尊氏が天龍寺を建立したくらいです。
死後は最恐の天皇となったヤバい天皇なんです。
後醍醐天皇の右腕だった楠木正成像
奇抜な発想やゲリラ戦で、少ない兵力で敵の大軍を次々と撃破。武勇と知略を兼ね揃えた日本史上、屈指の英傑です。
天皇家に生涯、忠義を尽くした立派な武将として、皇居の一等地に鎮座してます。
手綱を引きながら馬を抑え、頭を下げ拝礼しようとする姿は、隠岐の島から戻った後醍醐天皇を道筋で出迎えた勇姿だそうです。エピソードも演出もにくい!
東京芸大で10年掛けて製作したそうで、日本一かっこいい騎馬武者像かと思います。

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