赤ブロくんと行く 京都・六波羅界隈偏


ブロンプトン初輪行は京の都です。
修学旅行や社員旅行でしか行ったことがなく、京都の地理がさっぱり分かりません。
六波羅?二条城?本能寺?池田屋?日本史では分かるけど、京都の何処なの?
京都の地理を理解したく、赤ブロくんと6日かけて廻ってきました。

平家一族は栄華を極めた、六波羅ってどの辺り?

祇園、八坂、清水寺がある東山エリアでした。
京都で一番ベタなとこです。ここなんだぁ^^;
六波羅といえば、平家一族のゴッドファーザー平清盛の本拠地です。大河ドラマの松平健似合ってます。
武士の世を作ったパイオニアで、東大寺の坊主達が反乱すると奈良の大仏ごと焼き払ったほどの、かなりヤバいイケイケです!大好きなタイプです。
平清盛が住んでた六波羅蜜寺です。
出家後は、六波羅入道とも呼ばれていたそうです。
平家滅亡後、鎌倉幕府が、ここを京都取り締まりのため要所とし六波羅探題にしたそうです。
語呂も漢字もカッコいいだけに、漫画東京リベンジャーズの暴走族の名前になってます。頼朝もビックリでしょう^^
平清盛が建立した三十三間堂。世界一長い木造建築です。マジで長いです!
(※本業になりますが熱伸縮など気になってしまいます。)
この中に仏像がぎっしり入っており、ここ拝観すると仏像はもうイイや!となります。京都旅行では、最初に行ってはイケマセン。
三十三間堂のお向かいに法住寺、後白河法皇のお住まいです。 平家一族のご近所さんでした。
平家をさんざん利用した挙句、源氏に平家を討たせたお方。一時は平清盛に幽閉されましたが、ゴッドファーザーでも天皇は殺さなかったようです。
三十三間堂はその後、大乗大臣の清盛公より出世した、関白の秀吉公が京都に大仏建造した方広寺の境内の一部になったそうです。さすが武士最高位の関白です。
方広寺大仏殿の南大門は現存してます。アスファルト舗装で車道になっていたのが可笑しいです。関白殿下いいの?
建仁寺。東山エリアの真ん中位置し、平家一族の館が200~300軒ぐらいあったそうです。
「平家にあらずんば人にあらず」これ言ったのって平清盛ではなく、義弟の時忠って人だったって知ってました?
時忠って、三種の神器のひとつ・八咫鏡(やたのかがみ)を返す条件で、壇之浦後も生き延びてるんです。せこそうな人…
※逆を言えば、天皇家の三種の神器を平家が所持してたことが平家一族栄華の象徴のように思います。
平家一族は、木曽義仲に京都を追い出される時、源氏に取られるなら、いっそ燃やしてしまえと平家一族の館はすべて焼き払ってしまったそうな。焼野原に建仁寺は建てられたそうです。
新緑の紅葉の中庭はキレイでした。
燃え残った一つ、平清盛の息子2代目ゴッドファーザー平重盛の住まいの門です。
早くに病気で亡くなってしまいましたが、2代目が生きてたら源氏は、挙兵すらできなかったぐらいの信頼厚いゴッドファーザーでした。
関東人としては微妙なとこです^^;
近くの八坂の塔に、平家一族を京都から追放した木曽義仲の首塚があるんですよね~。
なんでだろう。あの世でも戦ってそう…
八坂の塔というぐらいで、周辺は坂だらけです。
高台寺南門通りは京都らしい町並みで、自転車で回っていても楽しいです。
八坂神社の大鳥居でパチリ、八坂神社は別名「祇園神社」です。
平家物語冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」
ここかと思ったら、祇園精舎ってインドでした。紛らわし過ぎます。
八坂神社隣の高台寺には、豊臣秀吉の正室ねねが余生を送ったことから「ねねの道」と名付けられた道があります。
石畳みがきれいな街並みでした。
知恩院三門。ここは浄土宗総本山で、浄土宗信者の徳川家康によって拡大されたそうです。
知恩院のスポンサーだった徳川家康も、ベンチにローソク屋さんがスポンサーに付くとは思ってなかったでしょう。
あれ、このエリアの代表って清水寺では?
混雑するから行ってません^^;10年ぐらい前の社員旅行写真です。この頃は、一眼レフで撮ったまじめな写真のブログやってました。
六波羅界隈こと東山エリアは、時の権力者にも、地元の人にも愛されてる地なのだなぁと思うのでした。
八坂神社裏の丸山公園内の茶店より。

京都は、自転車と電車を使うと効率よく観光できます。
地図&路線図を駆使するため、京都の地理はあらかた理解できました。
京都ネタしばらく続きそうです。(建仁寺の風神雷神)

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